煩悩baby

僧侶による ソウルフルな あいうえお

巨乳を愛する俺たちは人類の革新「乳タイプ」なのではないかという仮説

かの赤い彗星のシャアは「ニュータイプは万能ではない。戦争の生み出した人類の悲しい変種かもしれんのだ。」と言った。

この言葉を聞き、「もしや」と気づいてしまった俺。

そう、これは、巨乳を愛する俺たちも人類の変種なのではないかという話だ。 

 

 

君は巨乳の涙を見る

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お気に入りのグラビアアイドルが表紙を飾っている週刊誌は、必ず購入する。

夜寝る前は「猫」と書かれたフォルダに、新しく仕入れた巨乳画像を格納する。

これは巨乳に対する俺の行動パターンだ。

 

だが、時折冷静になる瞬間がある。

なぜ俺はここまで巨乳に執着しているのか?」と。

いざ考えてみると、明確な理由が見つからない。

そう、「なぜ俺たちは巨乳が好きなのか?」という命題は、圧倒的に発達した現代科学の前でも解き明かされていない事象なのである。

 

女性(貧乳)からは「ただの脂肪なのにバカじゃないの?」と罵られることもある。

おっぱいが大きい

ただそれだけ、それだけのことなのに、なぜ俺たちは、彼(か)のものの、一揺れ一揺れに心ときめかすのであろうか。

 

この永遠の謎に対して、数々の現代科学者が戦いを挑んでは、敗北を喫している。

例えば、「霊長類の多くが、オスがメスの後ろに立ってセックスをするというスタイルをとっているため、人間の女性の胸はそのお尻の曲線に似せるように発達してきた」という暴論を唱える論者もいる。

 

笑止。

なぜ我らがおっぱいが、ケツの二番煎じなのか。

あまりにも稚拙で脆弱な論理である。

 

上記の例のように、人間のフェチズムは性的な感情(セックスしたい)と結びつけて論ざれることが多い。

だがしかし、「巨乳を愛する気持ちは性的感情とは無縁だ」というのが持論だ。

 

くびれにフェチズムを感じる理由をご存知だろうか?

話を原始時代まで戻すと、原始人は以下のように、妊娠女性と、それ以外の女性を見分けていたようだ。

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女性のくびれに心ときめくのは、原始人時代の思考の名残なのだ。

 

では、これをおっぱいに当てはめると、どうなるだろうか?

一般的に妊娠をすると、女性の胸は大きくなると言われている。

すると、以下の図が完成する。

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お分かりだろうか。

つまり、原始人時代の本能に従うのなら、我々は貧乳を愛さないといけないということになる。

原始人的には、巨乳とセックスしても子孫は残せないのである。

 

では、巨乳に過度に反応してしまう俺たちは一体なんなのだ。

これには「遺伝子の暴走」と称するほか、説明できる言葉は見当たらない。
はたまた「ミトコンドリアの叛逆」か。

しかし、見方を変えれば、巨乳を愛する我々は「生殖本能を超える」という人類史上、大きな第一歩を歩んでいる、とも言える。

それは、宇宙に進出することで進化した新しい人類「ニュータイプ」のごとく。

いや、この場合「乳タイプ」と称するべきか。

 

そう、我々は旧来の人類を超え始めている。

人類の革新「乳タイプ」なのだという自覚を持ってほしい。

 

巨乳を愛する人たちが「おっぱい星人」と称されることがあるが、よく言ったものだ。

もはや俺たちは地球人ではないということ、新人類の暗喩だったにちがいない。

 

 

この一つの仮説に辿りつき、思い出したのは巨乳画像を目の前にしたときの感情だ。

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股間に手を伸ばし、思うのは「セックスがしたい」ではない。

頭の中で描かれるのは、ただひたすらに「おっぱい」なのだ。

決して、挿入といったセックスシーンは想起しない。

言語化するなら「ああああああああ、おっぱい!!!!!!!!!」なのである。

 

セックスシーンに自分を投影させて興奮しているAV鑑賞時の感情とは対照的だ。

巨乳画像から感じるのは、ありのまま、あるがままのレリゴーおっぱい。

おっぱいをおっぱいとして受け止め、ただひたすらにムスコをシゴく。

今にも吹き飛びそうな電光石火の手の動き、動力源が性的衝動ではないとしたら、一体何なのか?

 

 

 

 

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畏怖」。

 

 

 

 

 

 

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崇拝」。

 

 

 

 

 

 

 

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そして、「感謝」。

 

 

 

 

乳タイプであるあなたは、次の瞬間、「乳」に付された形容語が「」ではなく、「」である理由に気づくだろう。

 

big oppai」ではなく「huge oppai

 

日本語には、大きいものを表現する際、普通に大きいものには「大」、壮大なものには「巨」といったように、言葉の使い分けを行なっている。

 

大根、大砲、大男。

 

 

巨像、巨人、巨石。

 

 

 

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大仏。

 

 

 

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巨乳。

 

 

 

 

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大仏。

 

 

 

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巨乳。

 

 

 

お分かりだろうか。

巨乳は、他の「巨◯」のラインナップと比べて、「巨」の言葉がつくほど特別、物理的に大きいわけではない。

 

「巨乳」という言葉を作り出した先人が「大乳」ではなく、「巨乳」と名付けた理由。

 

それは、「大きいおっぱい」に対する畏敬の念が由来しているのではなかろうか。

そう、物理的な大きさという次元を超えて、大きいおっぱいは「大きい」のである。

普段はブラの下に押し込められた、たかが78~100cmの物体。それが全長15mの大仏を超えたのだ。

先人がおっぱいに感じたもの、それはまさしく宇宙(コスモ)。

 

ゆえに、巨乳は「巨乳」であり、巨乳は「尊い」ことが歴史的にも証明されていると言える。

 

 

巨乳を目の前に、我々の右手が速く動くのは性的衝動ではない。

巨乳パイオニアである先人の畏敬の念が我々に受け継がれ、巨乳への感謝が我々をそうさせるのだ。

 

 

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ありがとうおっぱい。

 

 

 

巨乳に伝えたいのは、ただそれだけだ。

 

 

 

「移ろいゆく世界をあるがままに受け止めよ」と説いた釈迦。

グラドルの巨乳画像をあるがままに受け止め、感謝のマスターベーションを行う乳タイプたち。

 

乳タイプの精神性は悟りに至った者、つまり「ブッダ」に近しくもある。

 

一歩、また一歩、悟りに近づきつつある。

 

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