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エゴサーチ・アンド・デストロイ

「無人島に何か一つだけ持っていくとしたら?」天才「MEGUMI」

 

彼は天才であった。

何気ない日常会話のワンシーン。「無人島に何か一つ持っていくことができるなら何を持っていく?」に対して、彼はコペルニクス的転回をやってみせたのだ。

 

MEGUMI。」彼はそう答えた。

 

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MEGUMI。そう、巨乳の女だ。 

 

MEGUMI」と答えられた瞬間、私は今まで何か目には見えない「枠」に捉えられていたことに気づき、いかに狭い世界で生きようとしていたのかを自覚した。やはり世界とは無限の可能性に満ちているのであり、その可能性を殺しているのは自分自身なのだと実感するに至った。

 

彼の「MEGUMI」は「無人島に何か一つ持っていくことができるなら何を持っていく?」という問題の固定観念を削ぎ払った。普通の人なら、「サバイバルナイフ」や「マッチ・ライター」と答えることだろう。つまり、生きるための手段となるものを選ぶのだ。それは無人島で生き抜くことを前提にしている。


では「MEGUMI」とは生きるための手段なのだろうか。否。断じて、否。

MEGUMI」とは巨乳の女だ。巨乳があったとしても、私たちは水や食料、もしくはサバイバルの知識がなければ生き抜くことはできない。MEGUMIは水や食料にはならないし、巨乳の女にサバイバルの知識があるとは思えない。

では、彼が「MEGUMI」と答えた真意とは何なのだろうか。彼はこのように語っている。

 

「俺は無人島でMEGUMIとヤりたい。MEGUMIとヤれたらもう俺は死んでもいい。」

 

お分かりだろうか。彼の「MEGUMI」は我々一般の観念をゆうに超えている。彼は生きようとはしていないのだ。

それどころか、彼はこの質問を「命よりも大切なものがあるか?」という問いに昇華させ、「生」の本質を問おうとさえしている。

たしかに無人島にマッチやライターを持ち込めば、生命は長持ちするだろう。それとは逆に、MEGUMIを持ち込んでも生きるための手段とはならず、1週間も経たずに死んでしまうかもしれない。

 

しかし、無人島にマッチやライターを持ち込み、「ただ命を継続させるために生きること」にどれだけの価値があるといえるだろうか。彼はそう問うている。人もいない、物もない、何もない無人島で、一人生き続けることは本当に「生きている」といえるのだろうか。


我々は普段、無意識に生きようとしている。何か目的を見つけるわけでもなく、やりたいことをやろうとするわけでもなく、ただ心臓の鼓動を継続させるため、呼吸を続けるため、生きようとしている。少しづつ寿命という死に自分が近づいていることを知りながら。

我々は、知らない間に、人生という無人島にマッチとライターを持ち込んでしまっているのだ。そして、何もない無人島で一人静かに死のうとしている。

我々にいま欠けているのは「MEGUMI」を選ぶことなのではないか。彼は自身の命よりも大切なものとしてMEGUMIを選んだ。生命を継続させることよりも、MEGUMIとヤることを選んだのだ。彼にとっては、MEGUMIとヤることこそが本当の意味で「生きる」ということだったのだ。

もしこの質問を他人にされた場合は、胸に手をあてて考えてみてほしい。あなたが生き長らえようとしているその命は、MEGUMIとヤる以上の価値はあるのだろうか。

 時に我々は答えが出ているにも関わらず、その答えに目を向けようとしないことがある。答えを見るのが恐ろしいと無意識に思ってしまう。自分の答えた解が間違っていると否定されるのが恐ろしい、もしくはずっと悩んでいるフリをしておきたいのだろう。


もうおそらく答えは出ているのではないだろうか。眼をしっかり開いて、しかと答えを見よ。目をそらさず、目の前の巨乳を見よ。MEGUMIを選ばずして生きる命など、とうに死んでしまっているのに等しい。この人生一度だけでもいいからMEGUMIとヤりたい、MEGUMIとヤれるなら死んでもいい。俺たちにはまだ「生きる」目的があったんじゃないか。俺たちは人生という無人島で絶対MEGUMIとヤるんだ。俺たちはちゃんとMEGUMIを選べるんだ。

 



彼の「MEGUMI」という返答は、「生きる」ということに対して受動的であった我々に、命の火をともしたように思われる。これは「人生の最終地点には必ず巨乳が存在する」という一つの仮説にもなり得るだろう。

 

私はこれから迷わず、無人島には磯山さやかを持っていきたい。MEGUMIはエラが張っているから嫌だ。

まあ、何にせよ、私の人生に巨乳の二文字を刻み込んだ彼の返答は素晴らしかった。

 

 

ところで、そんな現代に生きるコペルニクスとも評すべき彼に純粋な疑問をぶつけてみた。

 

「無人島にMEGUMIを持っていったら、本当にMEGUMIとヤれるの?」

「知らんけど、無人島なら身も心もオープンになんじゃねーの?」

 

その勢いのある解答に、ひどく心が震えた。

秋元康の歌詞にある「愛とは」をかき集めて、愛の定義を模索してみた。

 

頼む、誰か教えてくれ。愛とは一体なんなんだ。


生まれてこの方24年の私だが、愛とは何なのかが分からない。

道ですれ違う可愛い女の子を見たら、「あ!可愛い!好き!愛してる!結婚したい!」って思ってしまうのは私だけなのだろうか。いや、いるだろう。いるはずだ。私の周りの男子はそんな奴らばっかだからだ。

愛とは何なのだろう。好きとは違うのか。恋ってなに。結婚したいと思う気持ちとはどう違う?教えて欲しい。「愛とは何か」を教えてくれたら、ある程度正しい方向の愛に向かうことができる気がする。

誰か頼む・・・愛に定義付けをしてくれ・・・

 

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ということで今回は、作詞家、秋元康さんに愛とは何か、つまり愛の定義についてお尋ねしたいと思う。

つまり、秋元康さんの書いた歌詞で「愛とは~」と歌われている部分を収集し、愛の定義について何らかの解を得ようではないかという企画である。



「なんで秋元康さんに聞くの?」と疑問に思った方もいるだろう。

理由としては、次の①②がある。

① 日本を代表する作詞家だから

詩人と呼ばれる人達が減ってきている現代において、作詞家とは現代における詩人と言えるだろう。詩人とは言葉を紡いで人に思想を伝えるプロフェッショナル。そんな言葉・思想のプロフェッショナルから、愛について教えを授かるのが得策だと考えた。

また、作詞家の中でも秋元康といえば日本を代表する作詞家である。最近ではAKB48など48グループの作詞で有名だが、美空ひばりの「川の流れのように」など、数々の名曲の作詞を担当している。


② 歌詞に「とは」がやたら多いから

秋元康とは、歌詞に最も「とは」を使用する作詞家である、というのが私の持論である。

秋元康の歌詞は定義付けがかなり多い。「とは」を用いた定義付けのメリットとしては、歌詞のメッセージ性をより分かりやすくするという点が考えられるだろう。全年齢層に楽しまれるポップソングに用いるには賢い手法だ。

例えば、HKT48の「Chain of love」という曲では、

やさしさとはChain of love
人生とはChain of love

と歌われている。まさかの「とは」のダブルパンチ。(じゃあ結局Chain of loveってなんなんだよとツッコまざるをえない。)


まぁ、このように秋元康が作詞した曲は「とは」のフレーズがやたらと多い。

したがって、「愛とは」のフレーズもたくさん存在する。今回はそんな秋元康の「愛とは」をかき集めてみた。

秋元先生、どうか、愛を求め彷徨う私たちに愛の定義を教えてください。

 

 

「愛とは」多すぎる問題

「愛とは」の歌詞をかき集めて思ったこと。

秋元康、「愛とは」が多すぎる。なんでこんなに愛とは愛とは言ってんの?愛のアイデンティティがより分からなくなりそう。

ちなみに、同じ職業の人物として、つんく♂が作詞した「愛とは」を探した結果、2件しか見つからなかった。なんなんだこの違い。

まぁともかく、愛の定義を知るのが今回の目的である。数多くある方が研究のし甲斐があるだろう。



数多くある「愛とは」の中でも、愛の性質によっていくらかジャンル分けができることが分かった。以下、ジャンルに分けて歌詞を紹介していく。


 

愛とは相手に対する思い

数多くある秋元康の「愛とは」の中でも、大部分を占めるのが、このジャンルの愛だ。愛とは、相手に対する気持ち、つまり、自分から他者に矢印の向いた行為であるとする。


NGT48 「Maxとき315号」

愛とは涙
人のために泣けることね

 

西野七瀬「ごめんねずっと・・・」

愛とは相手のこと思いやる強さと
あなたと出逢ってからわかった気がするの

 

野猿「Selfish」

愛とは 誰かがそばにいること

 

AKB48(team A)「誰かのために-What can I do for someone?」

木々が次第に
揺れるように
愛とは伝えるもの


フレンチ・キス「瓶の蓋」

失ってわかったの
愛とは何かが
見えない優しさと安心感
支えられること


aki「愛の祈り」

愛とは すべて 祈りよ


なるほど、これらの歌詞から、愛とは何なのかわかってきた気がする。

つまり、愛とは、相手のことをある一方から思う気持ち、そしてその気持ちを伝え、相手の側にいるということだといえるだろう。

愛の性質がだんだんわかってきたぞ。次行ってみよう!(厚切りジェイソンのネタみたいになってきた。)



AKB48(アンダーガールズ)「君のことが好きだから

愛とは返事を
求めない声さ
一方的に贈るもの


なるほど、愛の一方向性を極めた結果、こうなるのだろう。愛とは見返りを求めるものではないといえる。


AKB48Mosh & Dive」

愛とは飛び込むこと


なるほど、相手の側にいるということを極めた結果、もはや飛び込むことだと。愛とは相手の懐に飛び込むことだと。オッケーです。次行こう。



板野友美「Always I need you」

愛とはね 何時間くらい
その人のこと考えてられるかさ

 

ノースリーブス「奇跡は夜生まれる」

愛とは傷ついて

感じないその痛み

愛とは最後まで

一緒に過ごすこと


え、重っ。相手のこと思い過ぎ。こんなに愛って重いのか。

愛とは、一方向性であり、かつ、量ってことなのか。
そして、自分が犠牲になってでも最後まで添い遂げることだと。

お、おう。おっけ!次行こう。


「Loves around you」JULEPS

愛とは? 愛とは?
誰もみな 問いかける
愛とは? 愛とは?
別れても 離れても
隣りにいること


すげえな、愛って。

 「別れても 離れても 隣りにいること」。

つまり、「別れる」が男女関係の解消、「離れる」が二人の間に物理的な距離があることなのだとしたら、愛とはそのような事実に左右されるものではないということである。

「隣り」というのは心理的・精神的に寄り添うことであり、つまり、愛とは「形」ではなく、「思い」であるということである。すごい。すごい重い


 

愛とは乙女のすべて

AKB48「Warning」

愛とは乙女のすべて
他に何もいらなくないない

 

そう、愛とは乙女のすべてなのである。これはもう僕にはわからない。乙女じゃないから。

しかし、これは愛の定義を考えた場合、愛とは乙女のすべてだと言い得ることができるということである。なんでそんなこと、57歳のおっさんに分かるのだろうか。そもそも乙女のすべてを理解している57歳のおっさんって何なんだ。秋元康やっぱスゲェ

 

 

 

愛とはなんかあったかい感じ

「偶然の後で」川島なお美

愛とは日向のようなもの
そこにいるだけで暖かい

 

AKB48「長い光」

愛とはいつもそこにいること
孤独な日々にやっと気づいた
愛とは燃える炎じゃなくて
日向のような風のぬくもり

 

乃木坂46「ここじゃないどこか」

愛とはぬくもり
一人ぼっちにさせないよ


秋元さんの言う愛とは、なんかあったかい感じだと分かる。性衝動に駆られたような情熱的な愛というよりも、ほのかにあったか~い感じ。ストーブではなく湯たんぽって感じ。

 

 

愛とは痛みを伴う

AKB48(Team KⅡ)「サヨナラ昨日の自分」

愛とは残酷
こんなに激しい痛みを知った


SKE48「TWO ROSES」

愛とは いつも棘があるもの

 

つまり、愛とはかならず代償があるということであろう。誰かを愛することは必然的に痛みを伴うものだということである。

 

 

愛とは難しいもん

渡り廊下走り隊7「猿のシンバル」

学べ!
愛とは難しいもんなんだ


愛とは難しいもんなんだ!学んだ!

 

 

 

愛とはヘリコプターの音が聞こえない

柏木由紀「口移しのチョコレート」

上空飛んでるヘリコプターの音も
何も聞こえない 愛とはそういうもの

 

愛とはヘリコプターの音が聞こえないもんなんだ!愛はうるせぇんだ!

 

 

 

愛とは永遠

NMB48 (team N)「100年先でも」

愛とはいつだって永遠の長ささ
そんなこともあったねと
目を細め 笑える日が来る


渡辺麻友「出逢いの続き」

そう愛とは自然淘汰

残るものは かけがえない真実

 

愛とは永遠に続くもの。しかし、その愛がニセモノであれば自然に淘汰されていく。ホンモノの愛こそが永遠に続くのである。そして、ホンモノの愛とは上記に列挙した愛のことをいうのであろう。

 

 

 

まとめ

さて、ここまで秋元康が作詞した歌詞の中にある「愛とは」というフレーズを抜き出し、ジャンルに分けて紹介してきた。想像以上に「愛とは」が多すぎて苦労したが、秋元康が説明する「愛とは」をまとめるとこうなる。


愛とは、

・相手のことを一方的でもいいから、見返りを求めず思うということ。そのためには自己犠牲も肯定する。そして、その思いは思う時間の量により影響を受ける。
相手の側にいること。そのためには飛び込むことも要される。また、側にいるということは物理的距離をも超えた精神的な支えのことである。
乙女のすべて
なんか暖かい感じ
痛みを伴う
難しいもん
ヘリコプターの音が聞こえない

以上の条件を満たしたものがホンモノの愛であり、ホンモノの愛とは永遠に続くものなのである。



皆さん、愛とは何かが分かっただろうか。

分かったのであれば、即行動だ。知識だけでは何の意味もないぞ。

とりあえず、まず私はヘリコプターの音が聞こえなくなるような女の子を探したいと思う。うーん、いるんだろうか、そんな子。

 

男子の皆に朗報。Webマガジン"SILLY"のグラビアが神ってる件

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こんにちは、どぅーいな (@andymizuki) | Twitter)です。

 

SILLYっていうWebマガジン知ってます?

サイバーエージェントが2年前くらいに始めたカルチャー系のWebマガジンなんですが、これめっちゃイイんですよ。

 

一言で言うなら「Webグラビアの革命」!!!

まるで汚物を見るかのような女性店員の視線に耐えながら水着の女の子が表紙の週刊誌を買い、やっとの思いでグラビアにありつけている男子の皆。SIILYはスゴいぞ!

今回はそのスゴさについて、ブログを書こうじゃないかと!鼻息荒い感じで!そういうわけです。

 

さて、サイバーエージェントのWEBメディアといえば記憶に新しいのが、Spotlightっちゅうキュレーションメディアの炎上。Webライターの雄、大正義"よっぴー"様がヤフーニュースでパクリメディアSpotlightを成敗していました。

bylines.news.yahoo.co.jp

 

その一件のせいでサイバーエージェントのWebメディアといえば聞こえが悪いのですが、このSILLYはちゃうんです。

 

Webのデザインからコンテンツまで、触れたら火傷するくらいの熱量を感じます。間違いなく「ホンモノ」です。

 

かくいう私はサイバーエージェントには新卒採用で1次選考で落とされてますからね。よっぴーさんと同じで、サイバーエージェントには勝手に恨みつらみを感じているわけです。

でも、そんなHATEな感情を超えて、こんなブログを書いてしまうくらい(サイバーエージェントの宣伝をしてしまうくらい)、SILLYは久々にグッと来るメディアだってことです。間違いなく、僕が今1番好きなWEBマガジンだといえます。

 

 

特に何がって、冒頭に書いたようにグラビアですよ。WEBグラビアに革命が起きとるんですよ!!

今回はSILLYの革命を「オシャレでヤラシサを拭き取り、エロさは残した」という点で説明したいと思います。

 

 

オシャレでヤラシサを拭き取り、エロさを残す。

SILLY編集部によると、SILLYとは以下のようなメディアだそう。

エッジィーなガールズグラビア、ファッションの最新トレンドから、レアなアイテム、フード情報まで。“ミレニアル世代“によるNEO TOKYO MAGAZINE。

 

「エッジィーなガールズグラビア」なんだそれ、俺はエッチィーなガールズグラビアしか見たことないぞ!!つまりエッチィーってことなの?エッチィーの隠語なの?

と想像に沸き狂う男子の皆さん。お   ま   た   せ。

 

エッジィーなグラビアをとくとご覧あれーーー

(リンク先飛んでもいいけど、ちゃんと帰ってきてね♡)

 

■はんなりGカップ、お茶の間の大天使こと、岸明日香ちゃん。

silly.amebahypes.com

■スレンダーIカップ、猫目の核弾頭ミサイルこと、青山ひかるちゃん。

silly.amebahypes.com

 

これが「エッジィーなガールズグラビア」なんですね。どうもエッチィーの隠語ではなさそう。

 

一言で言えば、カワイイんです。とびっきりポップでオシャレ。今までの週刊誌的なグラビアとは一線を画しているのがよく分かると思います。

 

グラビアってどうしても「ヤラシイ」イメージがあったじゃないですか。男くさ〜い部室臭というか。それをオシャレアイテムとポップな背景と組み合わせて、見事健康的に仕上げてる。ヤラシサをフォトジェニック感でかき消してるって感じです。 

 

思うに、このグラビアの写真を女の子に見せても、「カワイイ!!」とか「おしゃれ!!」って言うと思うんです。女の子ならキュンと来るキュートさですもの。要するにマギーの写真集に載ってる水着写真を見てるのと一緒です。男も女もキャーキャー言える感じ。

つまり、SILLYはちょっとお下劣だったグラビア・カルチャーをファッション・カルチャーと同じラインまで引き上げようとしてるんじゃないかと思ったんですよね。(ちなみにお下劣だからといって価値がないということではないですよ)

 

僕の憶測ですが、なぜSILLYがグラビアをオシャレに昇華させているのかというと、それはWebならではの配慮を行なっているからだと思います。

 

今どきのワカモノはどのような方法でウェブサイトの記事を読んでいるかご存知でしょうか?いちいちサイトをブックマークしておいて定期的に訪問する、なんて面倒なことはしません。FacebookとかTwitterのTL上で、自動で流れてきたものを読んでるんです。

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上の画像のように、そのウェブサイトをFbならいいね!、Twitterならフォローしておくと、TLに自動で新しい記事が読み込まれるんです。便利でしょ。

これって、でも「自分はこのサイトをよく読んでます!!!」と友達に宣言してるみたいなもんなんですよね。

 

すなわち、グラビアを見るためには「俺は定期的にこのグラビアサイトを読んでます!!!」って言わなきゃいけないんですよ。どんな拷問や、それ。

つまり、部室でこっそり男子だけ集まってプレイボーイ読んでる時代は終わったってことなのかもしれません。僕たち男子は女子の目を気にしながらグラビアを読まないといけない時代になってしまったんです。嗚呼、まさに情報化社会の弊害。

 

これが今まで数多くあった一般向けのWebマガジンでもグラビアを連載できなかった一つの理由だと思います。

男子の諸君、ヤラシイグラビアを連載してるウェブサイトをフォローしてて、それを女子に見られたりなんかしたら、もう地獄でしょ。教室のど真ん中でプレイボーイのグラビアを堂々と読んでるようなもんです。アカンよ、女子ドン引きよ。

 

 要するに、SILLYは従来のグラビアのヤラシサを克服して、SNSでフォローしてても「耐えられる」ようなオシャレテイストに仕上げようとしているんですね。女子が見ても「え!○○くん、 カワイイの見てるじゃん!」って言われるくらいの。つまり、オシャレなのは女子の目線を逃れるためなんですよ絶対!

 

さらに、ヤラシサを避けようとするSILLY編集部の趣旨は、タイトルにも顕著に表れていると思います。

グラビア記事のタイトルは全部「Kishi Asuka  03」とか「Hikaru Aoyama | 02」とかみたいに、

ローマ字の名前 + ナンバリング」になっているようです。

 

こんなの、男子だけに読ませるなら、どう考えても「ポロリ待ったなし!岸明日香ちゃんのたわわなGカップ」みたいなタイトルをつけるべきでしょ(下世話でサーセン)。 

しかもご丁寧に、ローマ字表記にして名前をカモフラージュしてくれてますし。ホント気を遣ってくれすぎだよSILLY編集部。オトコの味方すぎる。

 

そして、大事なのが、ヤラシサは損なっていてもエロさは損なっていないこと!もうこれは見れば分かりますよね。ちょっとサブカルっぽいアンダーグラウンドがヤラシサを拭って、エロさを増幅させています。

 

ヤラシサをオシャレなアングラ感で拭き取って、エロさをも担保させる。つまり、編集部はオシャレとエロさのシーソーゲームに葛藤しながらも見事、最高のバランスを成り立たせているんです。SILLYは、難しかったWebのグラビアという領域に一つ風穴を開けたって感じがしますね。

 

と、まぁこんな感じで、SILLYはお気に入りのWebマガジンなんです。

SILLYについてはまだまだ話せることがたんまりあるんですが、今日はこのへんで。男子の皆、ぜひ読んでみてください。

 

仏教的視点から「青春小僧が泣いている」の歌詞の意味を解読する

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ついに、2015年4月15日に、モーニング娘。'15の新曲「青春小僧が泣いている/夕暮れは雨上がり/イマココカラ」のトリプルA面シングルが発売される。

その中から、今回は「青春小僧が泣いている」という曲を取り上げてみたい。

青春小僧が泣いている」、恐ろしいタイトルである。

これぞ、ハロプロと言わんばかりのパンチ力に満ちたタイトル。

 

皆さんのご想像通り、作詞(及び作曲)はつんく♂氏である。

これまで様々な話題作を作り続けた鬼才つんく♂

解読不可能なその歌詞は数多くのヲタクを困惑させ、「解析班」と呼ばれる一部の精鋭ヲタが今日も年中無休で解読にあたっていることだろう。
それでも未だ解読されていない歌詞は数多く存在する。

 

解読されたものとして、有名なのが「色っぽいビスケット」である。

この言葉は「色っぽいじれったい」という曲の歌詞なのであるが、

実は、

  1. ローマ神話の知識
  2. ・ヨーロッパの陶芸の知識
  3. ・英語の俗用の知識
  4. ・18~19世紀ヨーロッパにおける芸術の流行

これらの知識がないと理解することができない代物であった。すごいぞつんく♂

詳しくは以下のリンクを参照してほしい。知らない人は抱腹絶倒間違いなし。

 

 今回取り上げる「青春小僧が泣いている」は、一見すると普通の歌詞のように思えるが、実は仏教が裏のテーマにあるのではないかという推測が得られた。

 

以下、歌詞は歌詞サイトで参照してほしい。

  

さて、普通にこの歌詞を見てみると、

若い男の子の青春における失敗(失恋など)を描いた歌であるかのように思われる。

 

でも、もうちょっとだけ歌詞を見てじっくり考えてみてほしい。

 

今回の曲のタイトルは「青春少年が泣いている」でもなく、「青春男子が泣いている」でもなく、

青春小僧が泣いている」なのである。

 

それが何を意味するか。

 

 

「小僧」。

1 仏門に入って、まだ修行中の男の子。年少の僧。雛僧(すうそう)。

2 商店などで使われている年少の男の子。でっち。

3 年少の男子を見下していう語。小僧っ子。こわっぱ。

 

「少年」や「男子」だと、2や3の意味でも通じるが、あえて「小僧」という言葉を使っていることから、

もしかしてつんく♂さんは、1の意味で使っているのではないだろうか・・・・

 

「いやいや!そんな解釈は無理矢理すぎるだろwww」と皆さん思ったことだろう。

 

では、そう思った方は続きを見てもらいたい。

 

青春小僧の歌詞で、どうしても気になっちゃうのが、いろは歌の部分だ。

このいろは歌は、すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文として有名だが、

このいろは歌とは元々何であったのかというと、

仏教の経典である『涅槃経』の中の無常偈を表すものとして知られている。

以下いろは歌の解説ページから引用する。

◾️色は匂へど 散りぬるを

(香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。)

 諸行無常(しょぎょうむじょう)

 

◾️我が世誰そ 常ならむ

(この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。)

 是生滅法(ぜしょうめっぽう)

 

◾️有為の奥山 今日越えて

(この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて)

 生滅滅己(しょうめつめつい)

 

◾️浅き夢見じ 酔ひもせず

(悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。)

 寂滅為楽(じゃくめついらく)

 

どうだろうか。「青春小僧が泣いている」、この曲の裏のテーマは仏教であるという推論は間違ってもいないのではなかろうか。

 

では、以下では、仏教的視点から「青春小僧が泣いている」の歌詞の意味について解読していきたい。

 

「君」と「私」の関係

青春小僧が泣いている」の歌詞の世界観において、一番謎に包まれているのが歌詞中に出てくる「君」と「私」の関係である。「私」という一人称が用いられていることから、私目線で描かれた歌であることは間違いないが、曲中ではその「私」像が特殊なものとして描かれていることに気づいた。

 

「私」は「君」に対して、上位の存在にある

「だから私笑ってあげる」「だから私変わってあげる」という言葉から、「君」に対して「私」は優越的な地位にあるということ、もしくは「君」よりも上位の存在であるということが推測される。

また、「君も不安を消して」「どんな時だって安心しているよ私」という言葉から、「私」という存在が不安を抱いておらず、常に心の平穏を保った存在として描かれていることが推測される。

 

このような上位の存在として、歌詞の中で「私」を描くことは極めて特殊である。先述したように、歌詞中では「私」は常に心の平穏を保った存在として鮮明に描かれているが、仏教では、苦の根源を知り、真理を悟った存在のことをブッダと呼ぶ。つんく♂は、「私」をブッダとして描いているのではないだろうか。

 

 「君」が指すもの

「私」がブッダなのであれば、それよりも下位の存在である「君」は未だ悟りに達していない小僧のことを指しているものと推測される。歌詞の内容からも、「君」とは「青春小僧」のことを指しているものだと解読することができる。

また、それは、「何度何回もやり直せる」という言葉からも象徴的である。

 

すなわち、古代インドでは、人間は輪廻転生すると考えられていた。例えば、人間がその在命中に罪を犯したならば、次に生まれ変わるときは人間よりも下位の存在(例えば虫)として生まれ変わる、といったものである。インドの思想では、限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を苦と考え、二度と再生を繰り返すことのない解脱を最高の理想とする。そして、悟りに達し、解脱することこそが仏教の最終目的なのである。

 

話を元に戻そう。「何度何回もやり直せる」という言葉は輪廻転生を意味するのではなのではないだろうか。まだ悟りに達していない小僧が輪廻の苦しみから逃れることができないのは自明である。

 

このように、「私」をブッダ(悟った者)、「君」を小僧(悟りに達していない者)として捉えると、この曲の歌詞の本当の意味があらわとなってくるように思われる。

 

サビの歌詞について

次に、サビの歌詞にスポットを当てたい。

この曲は私目線で描かれた歌にもかかわらず、一番の盛り上がりのサビ部分では、青春小僧が客観的視点から描かれている。サビで用いられる「青春小僧が今日も泣いている」という言葉は「私」から見た「君」を表現し、また同時に、「青春小僧」の状態のみを表現し、そこに何の感情も表現しないことで、「私」と「君」との非常に冷めた関係を表現しているようにもとることができる。

これがただの青春に失敗して泣いている少年の気持ちを歌った歌なのであれば、言葉遣いが妙に抽象的すぎはしないか。

 

また、「今日も」という言葉にも注目したい。タイトルが「青春小僧が泣いている」にも関わらず、「青春小僧が今日も泣いている」とサビで歌うということは、「今日も」には何らかの意味が込められている可能性が高い。また、同様に「今日も」が使われているのが、二番のサビの「これが最後って今日も泣いている」の部分である。最後なのに今日も、というのは単純に考えておかしい。

このことから推測すると、「今日も」とは普遍的な視点から、「世の中には青春小僧がたくさんいて、昔から変わらず今日までずっと悲しみにくれている」といったことを表現しているように思われる。その点で、青春小僧=「君」なのではなく、青春小僧とは「君」を含む集合体であることがわかる。

 

以上のことから、サビでは、悟りを得た者が俯瞰的な視点から、青春小僧という青春に心を奪われ苦しんでいる少年を眺めているという情景が描かれていることがわかる。

 

 

この曲のメッセージとは

では、この曲のメッセージとはなんなのだろうか。

要所要所に散りばめられたいろは歌に、その答えはあると私は考えた。先述したように、いろは歌は、この世の無常を説き、悟りを得たならば無常の世に心を流されることもないということを説明した言葉である。

 

青春小僧が泣いている」では、「私」を悟りを得た者、つまりブッダとして描き、「私」目線で「青春小僧」の悲しみを映し出している。「青春小僧」の悲しみとは、悟りを得ていないことから輪廻から脱することができないということ、つまり、何度生まれ変わっても人間は青春を追いかけ、それに傷ついてしまうということを表現しているのではないか。しかも、その描き方は非常に冷ややかであり、エモーショナルな表現は一切用いられていないのが非常に印象的である。いろは歌に示されるように、この世は無常であり、すべての有象無象は確かな姿形が存在しない。それは青春も然りである。悟りを得ることで、青春という形なき夢にとらわれることもないのである。

 

いかがだったろうか

以上が「青春小僧が泣いている」の歌詞の意味の考察である。あくまで私なりの考察なので、皆さんもよかったら考察してみてほしい。

浅いようで、実はめちゃくちゃ深いつんく♂ワールドを是非その身で体感していただきたい。